宝積寺は現在、「城下町小幡七福神(布袋尊)」「上州33観音霊場19番札所」「東国花の寺百ヶ寺群馬第4番札所」霊場に所属し、 参拝者の受け入れを行っています。
歴史と文化の町として観光振興に力を注ぐ甘楽町。
「城下町小幡」を軸に、新たな観光名称を作ろうと、町内7ケ寺の住職が「城下町小幡七福神会」を平成6年に発足しました。
各寺院では、御朱印の受付、専用色紙(700円・寺院ごとに専用のスタンプを押します。)による七福神巡りを行っています。
パンフレット・看板を活用し参拝ください。車でのお参りで2時間、自転車で3時間、徒歩で8時間が目安です。
城下町小幡は、戦国の小幡氏、江戸時代の織田氏、松平氏の城下に、国指定名勝楽山園、武家屋敷、日本名水100選雄川堰など、歴史と文化にあふれた町です。また、周辺には世界遺産富岡製糸場、群馬サファリパーク、こんにゃくパーク、めんたいパークなど、見どころがたくさんあります。
群馬県内広く33の寺院を選び、別格・特別霊場3ケ寺を加え36ケ寺が選定され、平成11年に発足しました。
専用の御朱印帳・ガイドブック・パンフレットを活用した巡礼が行われています。
宝積寺の本尊は菊女観音です。なお、会開設には大間々町(現:みどり市)名誉町民・萩原好之助氏が多大な尽力をされました
詳細は「上州33観音霊場」パンフレットを
ダウンロードください。
関東1都6県の「花の寺」と称される百の寺院が集まり、平成13年には発足しました。
会では宗派や宗旨の隔てなく、仏教の教えをもとに、物質社会の現代に生きる人々が、心に「花」を咲かせてほしいとの願いで結成されました。
専用の御朱印帳・ガイドブック・パンフレット、広報活動はインターネットによるリアルタイムでの花の開花や参拝者の受け入れ情報を流しています。
本尊菊女観音。
詳細は「東国花の寺百ヶ寺 群馬14ヶ寺パンフレット」をダウンロードください。
書き置きの御朱印は本堂正面入り口に御朱印箱を設置してありますので、そちらで対応をお願い致します。
宝積寺の27世万仭(ばんじん)様は、元禄11年(1698)九州の佐賀県に生を受けました。
厳しい修行を積まれ、その後佐賀・岡山・愛知で多くの寺院を開山、寺院住職を歴任し、59歳の時最後の住職地として宝積寺に赴任しました。
ところがその頃、甘楽の地では内臓病に苦しむ人が絶えず、多く人々がその病に苦しんでいました。
万仭様は「身替地蔵菩薩」(宝積寺参道石段脇)を、苦難にあえぐ人々の病を癒す仏様としてお迎えされました。
そのお地蔵さまは「病を癒してくれる。」と評判になり、人々は押すな押すなの大行列をつくりお地蔵様にお参りをされました。
誰が始めたのか、人々は砂岩でできたお地蔵様の背中を削り、その粉末を飲み病を癒したと伝わっています。
しかしあっという間に背中の石は削られ、人々は左首を削るようになりました。
ある時お地蔵様の首は落ち、霊験は無くなりました。困ってしまったのは参拝者です。
そこで、歴代住職が何代にも渡る研究により、生み出されたのが「身替地蔵札」です。
とても変わったお札で、小さなお地蔵様を飲むお札です。
お受けされた方は作法に従ってお持ちください。
学業・合格・健康・恋愛・身替り・交通安全・桜・七福神など各種お守りを用意してあります。
本堂入り口でお求めください。
戦国時代末期、甘楽町にある国峰城主小幡信貞の腰元に、美しく聡明なお菊
さまという女性がいました。
信貞公はお菊さまを寵愛し、片時も自分のそばから離そうとしませんでした。
奥方様や他の腰元たちの嫉妬心は日に日に増し、信貞公の留守中に、
あい計らってお菊さまを無実の罪におとしいれて、山中の「菊ケ池」で蛇責めの刑に処してしまいました。
お菊さま19才、天正14年(1586)のことです。その後追善の供養が行われ、
その美しい姿は、境内の観音様として多くの人々に慕われています。
お菊さまは亡くなった時、殿様の子供を身ごもっていたことから、「子供を世に出してあげたかった。」との願いを強く持っています。
子宝安産・子育ての仏さまとして広く信仰されています。
この伝説は群馬より関西へ、そして江戸へと伝わり、「番町皿屋敷」の源流伝説の1つであるといわれています。
城下町小幡七福神の本尊「なでほてい」は、中国の唐時代に活躍していたお坊さんです。
ふくよかな耳で人々の願いを聞き、大きな袋をかつぎ、現代でいえば10円100円のお金を供養してもらい、
困っている人に布施をして回ったといわれています。
仏教界のボランティアの元祖的存在です。
参拝者が自然に頭をなでながらお参りをするところから、「なでほてい」と呼ばれるようになりました。
宝積寺開創まもなく、領主であった小幡氏は、轟地内に厳島神社を建立し安芸の宮島の弁財天を勧請しました。
宝積寺境内にも池を設けその中心の島に弁財天を迎えました。
多くの宝(仏様の教え・財宝・家族・結婚相手・容姿)を、弁財天のお力により授けて(積)くださいとの願いで勧請され、宝積寺の寺名の元であるとの言い伝えも残ります。
久しく弁財様の所在が不明でしたが、平成元年に新たに碑としてお迎えいたしました。
容姿端麗祈願の方は、きれいな布を持参いただき、弁財様のお顔をその布でなでてお参りください。
古より多くの僧侶が、この石を使い修行を行いました。
伝説によると永禄6年(1563)小幡氏の内紛により「宝積寺合戦」が起こりました。
寺の僧・巌空坊は大きな巨体で敵兵に丸太をふり回し応戦したが、諸堂に火を放たれ,力はてて、石の上で切腹したと伝えられています。
この時からこの岩を「天狗の腹切り石」といわれています。
巌空坊の力にあやかるため、受験生・起業家が参拝されています。
宝積寺では、平成30年1月に、マスコットキャラクター「たからくん」が誕生しました。
衣の色は万燈会のロウソクの赤、胸に掛けられている絡子はアジサイの紫、足は紅葉の黄色、頭の上にハートの桜の花びらが1枚。
笑顔で手を広げて「どなたでも宝積寺へお気軽にお越しください。」と迎えてくれます。
たからくんに触れて笑顔のパワーをいっぱい受けてお帰りください。
たからくんは、高野山真言宗総本山金剛峯寺の「こうやくん」をお兄さんと慕っています。
本堂入り口にて、「たからくん」がマスコットキャラクターとして参拝者を迎えてくれます。
おきくちゃんはお菊伝説のお菊さんをかわいくデザインし、主にネット上やパンフレットで活躍してもらいます。
皆様2人をよろしくお願いいたします。