宝積寺の紹介

宝積寺の歴史

宝積寺は、弘安3年(1280)頃には、天台宗の寺院として創建されていました。
その後宝徳2年(1450)に、領主の小幡実高公が中興開基となり、茨城県東昌寺の即庵宗覚大和尚を招いて曹洞宗として再興されました。
小幡氏が滅ぶと、元和2年(1616)に、織田信長の孫・織田信良公が小幡藩主となり、菩提寺を宝積寺と定めました。
近年まで、厳しい修行道場として栄え、全国から修行僧が集まり、福井県永平寺・横浜市總持寺の大本山へも多くの禅師が昇住しています。
末寺46ヶ寺、門葉は120余ヶ寺を数えます。
現在、多くの皆様の協力により、桜・アジサイ・モミジなどの植樹活動が行われ、四季を通して参拝者の目を楽しませています。
また、御朱印・身替わり地蔵札信仰・坐禅会・ボランティア・仏画の会など心のより所として訪れる方が年々増えています。

寺院名:曹洞宗 鷲翎山 宝積寺
代表役員:住職 西有孝裕
住所:〒370-2203 群馬県甘楽郡甘楽町轟774
Tel:0274-74-2743
Fax:0274-74-3024

詳細は「宝積寺」パンフレットをダウンロードください。
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  • 宝積寺曹洞開創570年大遠忌・本堂改修落慶法度(平成30年5月)
  • 開山堂天井画(平成30年1月甘楽町指定重要文化財)

小幡氏

宝積寺本堂裏の墓所に、延慶2年(1309)建立の「延慶の板碑」があります。
これは小幡氏始祖・小幡氏行の内室の碑といわれ、小幡氏は鎌倉時代より宝積寺と強い結びつきで繋がっていました。
宝積寺の末寺は現在確認されている寺院が46ケ寺ありますが、そのほとんどが小幡氏の支配した領内、または小幡氏と深い関係にあった武将の領内に存在しています。
天正14年(1590)に、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻略し、北条氏に従った小幡氏は甘楽から離散をしました。
宝積寺は小幡氏と共に、約280年以上の歴史をこの甘楽の地で刻んできたのです。
小幡氏歴代の墓所は本堂裏の高台に祀られています。


  • 小幡氏の墓
  • 宝積寺中神
					輿開基・小幡実高公肖像画(篁千礼筆)

織田氏

織田信長の次男・織田信雄は、元和元年(1615)、大和(奈良県)松山3万石と上野(群馬県)小幡2万石などの領主となりました。
小幡藩2万石は、信雄の子信良が相続し2代となり、宝積寺を菩提寺と定めました。
織田氏は先祖の歴代墓石と「お菊さま」(菊女観音参照)の墓石を建立し、毎月日を決めて参拝をしていたと伝わっています。
その後、4代目信久の時に小幡崇福寺へ墓所を移転し、8代信邦代に出羽(山形県)高畠へ転封となりました。
現在宝積寺には、2代信良公寄進の「伝明兆作観音図」「茶釜」が寺宝として保存されています。


  • 織田信良公寄付観音図(伝・吉山明兆作)
  • 織田信雄氏肖像画(篁千礼筆)

住職挨拶

この度は宝積寺ホームページにお越しいただきありがとうございます。
現在、宝積寺を訪れる皆様が心のより所となるような活動を役員一同で行っています。
花の寺・御朱印・坐禅会・特別拝観・ボランティア活動など皆様に合う取り組みがきっとあるはずです。
ぜひお気軽にお出かけくださいますようお願いいたします。また不明な点がありましたらご遠慮なくお問い合わせください。


  • 大般若法要(4月29日)

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